兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

その後の大分県立竹田高校について(その3)

[ 2011/09/10 22:46 ]
 HOPEさんから、
「私もあなたの意見に賛同します」
というタイトルで、コメントをお寄せいただきました。
 以下に引用いたします。


 私のコメントを取り上げて頂き、ありがとうございます。

 私は現在、現職の教員ではありませんし、長田校長や
西山教頭を擁護する意思はなどは全くありません。
 私は、公立高校に十数年勤めた後、公教育に限界を感じて
現場を去った者です。

 これは私見かもしれませんが、公立学校を設置し、管理・統制
しているのが行政である以上、この状況は変わらないと思います。
 そもそも私が教師志したのは、憧れの教師がいたわけでもなく、
私自身が生徒として受けた教育や、学校のあり方に疑問を感じ、
「俺が教育現場に乗り込んで中から変えていこう」
という意気込みからでした。

 しかし、長年根付いた悪しき慣習を改めるのは、一人の力では
無理でした。

 現場の教員は、校種を問わず特権意識が強く、外部の意見に真摯に
耳を傾けようという姿勢は希薄です。
 その上、公務員でもあるため、余程の事が無い限り失職する事は
ありませんし、収入も勤務年数とともに自動的に増えていきます。
 業績や能力に関係無くです。

 このような環境では、積極的に内部から改革しようという気運は
高まる訳がありません。

 また、校長と教頭のみが管理職で、他の教職員はみな横並びで、
新米からベテランまでがほぼ同じ職務内容な訳ですから、
学級王国や部活王国をつくって、そこの王様として君臨する以外は、
心の安定を築けない情けない嘆かわしい教員が多数出現してきます。
 このような現状が、様々な悲劇を生んでいるのだと思います。

 結局、現場の教員は、管理職になるか、王様になるかどちらかで、
権力を振るいたいのでしょう。
 真の教育愛など、どこかに吹き飛ばされてしまいます。

 私も現場では、さまざまな教員を見てきました。

 分かる授業とは何かを考え、授業研究に熱心な教師、
 如何にして生徒と共感できるか考え、実践する教師、
 生徒を自分の家来と勘違いしている教師、
 学級王国の王様気分でいい気になっている教師、
 授業そっちのけで、部活動にしか情熱を傾けない教師、

 できる事なら、あなたにも一度ご覧になって頂きたかったです。
 
 学校の主役は教師ではなく生徒です。
 学校は生徒の個性や可能性を伸ばす場所であるべきです。

 安心して子どもを預けられる学校、皆が願う理想の学校を創る事が
私の夢です。
(以上原文ママ)


 HOPEさん、ありがとうございます!
 たいへん残念なことですが、教育現場は
「悪貨が良貨を駆逐する」
状況にあるのだということが、よくわかります。

 8月30日には札幌市で、中2男子が飛び降り自殺するという、
たいへんいたましい事件が発生しました。

 9月3日付毎日新聞北海道版(電子版)は、
「同校と札幌市教委が2日夜、記者会見し、自殺した生徒が
『陰口を言われた』と話していた点について、教頭が
『陰口を言った生徒は把握していない』と述べた。
 同校はこれまで『陰口を言った生徒を個別に指導した』と説明
していたが、教頭は『陰口を言わないようクラス全体に指導した。
生徒を特定した上での指導ではなかった』と釈明した。
 会見前に保護者向けの説明会があり、保護者約120人が参加。
説明会は非公開で校長らが第三者を入れた調査委員会の開催や
在校生の心のケアに配慮することなどを説明したという。
参加した保護者の一人は『全く納得のいくものではなかった』と
憤りをあらわにした」
と報じています。

 校長や教頭の説明が、時間の経過とともに変遷する、というのも、
よくあることです。
 なぜなら、
「生徒を個別に指導した」ことを事実として認めれば、学校は
「いじめを把握していたにもかかわらず、有効な手立てを講じなかった」
ことを認めざるを得ず、したがって責任を免れえない、からです。

 前述の札幌市のみならず、全国の教育委員会には、統一仕様の
「危機管理マニュアル」が完備されているのではないか?と思うほど、
判で押したような対応が繰り返されます。

 そこには亡くなった生徒を悼み、真摯に反省し謝罪し、再発防止に
全力で取り組む、という姿勢は見出しがたく、
「責任回避が真相究明に優先する」
という、学校と教委の姿勢が如実にあらわれています。
 非常に残念なことですが、これが現実です。
 しかし、けっして追認してはいけない現実です。

 学校の主役は教師ではなく生徒です。
 学校は生徒の個性や可能性を伸ばす場所であるべきです。
というHOPEさんのご指摘は、まさにあたりまえのことを
おっしゃっているにすぎません。

 しかし、あたりまえのことがあたりまえに行われていない、
のです。
 これは由々しき事態であり、けっして看過すべきではありません。

 ひとりの生徒を大事にしない学校が、すべての生徒を大事にする
ことなど到底不可能です。
 関係者の猛省を求めるとともに、保護者や市民が学校に対して
毅然と立ち向かい、「いうべきことはいう」という心構えをもつこと、
そして心ある先生たちと連携して実効ある体質改善を進めることが
なにより重要、と考えます。
 HOPEさん、そして皆さんは、いかがお考えでしょうか?
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当然のこと
私は自動車部品を製造する民間企業の会社員です。

私の職場では、何よりも安全を第一に考え、少しでも危険なことやミスがあれば即座に厳しく注意されます。

「事故災害が起これば信用を失い、仕事を失う」とリーダーや上司が普段から厳しく言います。

私の職場ではそれが当然です。

私の職場のみならず、社会人として当然です。

社会人として当然の義務を放棄している方々に呆れるばかりです。


[ 2011/09/11 20:48 ] [ 編集 ]
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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