兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

筋金入りの隠蔽体質@神戸市(その17)

[ 2014/02/22 08:41 ]
 2005年度に神戸市立小学校で発生したいじめ恐喝事件について、
被害児童(当時)の保護者らは14年2月20日、神戸市議会文教こども委員会
(岩田嘉晃委員長)に6度目の陳情を行いましたが、今回も審査打ち切りと
なりました。
http://shunichimori.blog130.fc2.com/blog-date-201402-5.html

 今回の陳情も不毛なやりとりに終わりました。
 神戸市教育委員会は「いじめ恐喝行為があったか、あるいはなかったのか。
断定できない」という立場を堅持しています。
 被害児童と保護者らは神戸市教委の判断について問うているのではなく、
「なぜそう判断するのか?その根拠について森本純夫・教育委員長の説明を聞きたい」
と求めているのです。
 しかし神戸市議会文教こども委員会での審議は、損害賠償請求訴訟で神戸地裁
および大阪高裁が「いじめ恐喝行為があった」と事実認定しているのに、
なぜ神戸市教委はこれを認めないのか?という質問に終始しました。
 陳情の趣旨を理解したうえでの質疑とはいえず、不毛なやりとりと判断する所以です。

 これは市議会に陳情しなければならないような問題ではありません。
 05年度に神戸市教委指導課長を務め、当該小の片寄八朗校長(同)から
報告を受けていた森本氏が面談して説明すればいいだけの話です。
 なぜなら判断するには根拠があるはずで、その根拠を明示すれば被害児童と
保護者は納得するからです。
 しかし森本氏は保護者からの要請を、「会う必要はない」と切り捨てているため、
保護者らは市議会への陳情を余儀なくされているのです。

 林弘伸・神戸市教委指導課長(同、現・神戸市総合教育センター所長)は08年2月、
神戸地裁に「いじめ恐喝行為があったとは断定できない」とする文書を提出し、
その理由として「保護者の要望で被害児童に事情聴取できなかったため」
としています。
 しかし保護者がそのような要望をした事実はなく、被害児童は06年4月に
転校しましたが、転校後も当該小に出向き事情聴取に応じています。

 そもそも06年2月にいじめ恐喝の事実が発覚し、保護者が片寄校長や
担任教諭(同)らと面談した際、担任は加害児童ら(同)に対し
「きみらがやっていることはいじめや!」といって、叱責したことを認めています。
 保護者が担任に、「『いじめ』という言葉を使ったんですね」と確認したところ、
担任は「使いました」と明言しています。保護者は録音もしています。
 したがって被害児童と保護者は、「林氏がいかなる根拠に基づいて上記文書を
作成したのか、理解できない」ため、森本氏に「説明してほしい」と求めている
にすぎません。
 そして被害児童と保護者の主張については、当ブログはもとより12年3月28日付
毎日新聞大阪本社版「おおさか発プラスα」、12年8月3日付朝日新聞兵庫版「子午線」、
13年4月9日付神戸新聞などがすでに指摘していますが、こうした記事に言及する
神戸市議はいませんでした。

 神戸市教委は「いじめ恐喝行為があったとは断定できない」理由として、
「十分な調査ができなかった」こととともに、「被害児童と加害児童らの主張が
一致しなかった」ことをあげています。
 すなわち神戸市教委は、「加害児童らに、いじめ恐喝行為を行ったという
認識がなければ、それはいじめでも恐喝でもない」と判断しているのです。

 実は自らの非を認めたうえで、謝罪文を書いた加害児童もいます。
 しかし林弘伸・神戸市教委指導部長(同)は12年9月24日、被害児童と保護者らと
面談した際、「それが本心かどうか、わからない」と言い放ちました。
 井戸敏三・兵庫県知事は13年3月6日、林弘伸氏を「県下教育の振興に貢献し、
その行為が広く県民の模範となるべき」人物だと認証し、兵庫県教育功労者として
表彰しました。

 被害児童は今回の陳情に際し、森本純夫・神戸市教育委員長に
「ぼくは『わからないから教えてほしい』とお願いしています。何年経ったら
教えてもらえるのですか?」と問いかけました。
 かつて中学校教諭だった森本氏は、この少年の問いかけを黙殺したままです。
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Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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