兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

不適切な生徒「指導」について

[ 2013/11/18 00:52 ]
 2013年11月13日、NHK広島放送局は

 去年10月、東広島市の中学2年生の男子生徒が複数の教師から
指導を受けたあと自殺した問題について、13日、開かれた市議会の
委員会で議論が行われ、生徒が1年生の時、学校側が3日間にわたって
反省文を書かせていた「特別指導」に対して、疑問の声が相次ぎました。
 この問題を巡っては、市の教育委員会が設置した調査委員会がことし
9月、「自殺と一連の指導が関連していることは明らかだと思われる」
とする報告書をまとめたものの、男子生徒の両親は、調査が不十分だ
として再調査を求める陳情書を市議会に提出しています。
 これについて13日、開かれた市議会の文教厚生委員会では、生徒が
1年生の時、学校側が3日間にわたって反省文を書かせていた「特別指導」
について議論が交わされました。
 「特別指導」では、生徒が教師の悪口を書いたとして3日間にわたり
授業を受けさせずに、教室とは別の場所で反省文を書かせていたという
ことです。
 委員からは「男子生徒がやったことは本当に特別指導にあたることなのか」
とか、「特別指導を行ったことが自殺の一因になったのではないか」などの
疑問の声が相次ぎました。(後略)

と報じました。

 男子生徒に対して行われた「特別指導」の内容について、そして
自らいのちを絶つまで追い詰められた状況については
http://shidoushi.com/
をご参照ください。

 「全国学校事故・事件を語る会」の代表世話人、内海千春氏は
「目的と手段と結果が妥当なものであって、初めて指導といえる」
と指摘しています。
 いかに「目的」が崇高なものであったとしても、「手段」が適切なもので
なければ、妥当な「結果」を得ることはできない、ということです。

 上記事案において教師たちが、なにを指導の「目的」としていたかは、
現時点では明らかになっていません。
 しかし、その「手段」は「教師の価値観を一方的に押し付け、反省を
強要すること」だったと推定できます。
 すなわち「教師は無謬」という前提に依拠し、一切の釈明も反論も批判も
許さないという態度はまったく科学的ではなく、「豊かな人間性と創造性を
備えた人間の育成を期す」とする教育基本法の趣旨に反するものである、
といわざるを得ません。

 これは「子どもの権利を守る長崎の会」の代表、安達和美さんが
「子どもは、まちがいを重ねながら成長するもの」と述べていること。
 汐見稔幸・白梅学園大学長が、
「みんな小さな不道徳をしながら、だんだん道徳的になっていく」と
述べている(13年9月24日付西日本新聞)こととは正反対の、
むしろ「指導の名を借りた虐待」ではないでしょうか?

 そして13年11月14日付毎日新聞「余録」は、
「(前略)失敗のあった時どうするか。活力ある組織はそれを教訓に
広範な改革をする。官僚的組織は失敗のあった部分のみ修正する。
病的な組織では失敗は罰せられるか、隠蔽される−−これはウェストラム
という米国の学者の組織の3分類であった(後略)」と書いています。

 たいへん残念なことですが、多くの教委に「病的な組織」の特徴である
隠蔽体質がみられます。
 これを容認することはできません。
 不幸にして事故・事件に巻き込まれた生徒たちの権利と名誉を回復する
ために、公正性・中立性・透明性を担保した精緻な調査によって、
全容を解明することが不可欠です。
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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