兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

部活動について考える(その1)

[ 2010/06/25 22:42 ]
 6月25日付毎日新聞の「発信箱」というコラムに「がんばれ部活!」
(本橋由紀記者)という記事が掲載されています。
 以下に引用します。

 サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会に出場の日本人選手23人中、
Jリーグのユース(高校年代)の出身は3人で、ほとんどは高校の部活出身
だという。
 部活で過ごす期間は中学、高校で6年間。人生80年を考えれば長くは
ないが、朝と放課後、土日も活動すれば、学校生活の多くを占める。
人間関係から組織の動かし方まで経験できる。貴重でかけがえのない時間
だと思う。
 ところが、子どもが減り、顧問のなり手も減った。
「一生懸命頑張るのは格好悪い」という空気も出てきた。
 現行の学習指導要領で部活は制度としての裏付けを失い、全国大会に出場
したことのある「名門」の部ですらなくなるケースもあった。
「でも、風向きが変わり、面白くなってきたんです」。
 90年代後半から、「部活」を研究している首都大学東京の准教授、
西島央さん(42)は話す。
 確かに、部活をテーマにした本やドラマ、映画などが目に付く。
 イビチャ・オシム前サッカー日本代表監督も著書「考えよ!」で
「学校の部活動という独特のシステムには感銘すら覚えている」と書いている。
 次期指導要領では「教育課程との関連が図られるよう留意すること」という
表現ながら、部活は明示された。部活は見直されているのか?
「廃部がある一方、多くの先生が部活を手放さず、任意と善意で続けた。
学習面や生活面の指導に生かせるからです。それに運動部なら半分は1回戦負け。
スポーツを極めるだけでなく、生徒の居場所として機能している面もある」
と西島さん。
「学力だけ、働くだけの人生で幸せか?という考えもベースにあるように思う」
と見る。
 指導要領から「留意」というあいまいな言葉が消え、顧問の「任意と善意」に
頼まずとも運営されるようになるといい。
 がんばれ部活!

 本橋さんは、部活のプラス面に注目しています。
 ぼくも部活の効用を否定するつもりはさらさらありません。
 しかし部活にはマイナス面もあることを忘れてはいけません。
 再三指摘していますが、文部科学省スポーツ青少年局は
「学校には安全配慮義務がある。顧問が練習に立ち会えない場合には、代わりの
教師が練習に立ち会うこと」を求めていますし、練習内容についても適切で妥当で
合理的なものでなければなりません。
 教師の「任意と善意」は尊いものであり、頭が下がります。
 しかし「任意と善意」は、ややもすると独善に陥りやすく、密室性を帯びやすい
という傾向があります。
 この点、常に注視しなければなりません。
 つまり本橋さんも指摘するように、教師個人の力量や情熱に依存するのではなく、
学校全体として部活動を支援するシステムを確立することが不可欠です。
そして、これは喫緊の課題です。
「全国柔道事故被害者の会」が6月13日に開催したシンポジウムでも、
全日本柔道連盟のS総務課長が、
「全柔連としても、安全指導プロジェクトと指導者養成プロジェクトを立ち上げる」
と明言しました。
 これをすべての競技団体、および中体連・高体連に敷衍して実施しないかぎり、
生徒たちの安全を担保することはできません。
 すべてのスポーツは危険と隣り合わせです。
 この事実から目をそらしていては、同じ悲劇を繰り返すことになります。
 「起こったことを忘れてはいけない。忘れたふりは、なおいけない」のです。
 皆さんは、いかがお考えですか?
 龍野高校関係者のご意見をお待ちしています。
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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