兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

筋金入りの隠蔽体質@神戸市(その11)

[ 2013/05/02 06:56 ]
 当ブログ2013年4月9日付記事の続報です。

 05年度、神戸市立小学校で発生したいじめ・恐喝事件の
被害児童(当時)の保護者らは、13年4月5日付で
森本純夫・神戸市教育委員長あて内容証明郵便を送りました。
 これに対して雪村新之助・神戸市教育長が13年4月23日付で

 平成25年4月5日付けでいただきました文書について回答いたします。
 お問い合わせの平成25年3月29日付の指導課生徒指導係からの
回答は、平成25年3月25日付「平成17年度に神戸市立小学校で起こった
『いじめ事件』について教育委員長との面談申し入れ」を受けて、
教育委員会事務局からの正式な回答としてお送りしましたものです。
 教育委員会としましては、神戸地方裁判所に提出しました
「調査委託書(回答)」の記載内容や「生徒指導に関する状況報告」
への記載の件などについて、市会の常任委員会において答弁しています
とおり「いじめ・恐喝の事実があったかなかったかは断定できない。」
というこれまでの判断に変わりありません。
 従いまして、教育委員長との面談申し入れにつきましては、
前回の指導課からの回答(平成25年3月29日付)のとおり、お会いする
必要がないと考えております。(以上、原文ママ)

との文書を送ってきました。

 確認しておきますが、保護者らは
「いじめ・恐喝の事実があったかなかったかは断定できない」
という神戸市教委の判断に異議を唱えているわけではありません。
 「なぜそのように判断したのか?その根拠を明示してほしい」
と求めているのですが、これに対する回答はありません。

 今回、雪村教育長が作成した文書でも、
「従来の判断が変わることはない」
と言い切っていますが、なぜそのようなことが言い切れるのか?
という素朴にして重大な疑問に対して、その理由は示していません。

 永井秀憲・教育長と林弘伸・指導部長(いずれも当時)は、
市民からの問いかけにも一切回答しないまま退任してしまいました。
 そして今回も森本委員長に文書を送ったにもかかわらず、
雪村教育長が「回答」文書を送ってきました。
 その理由も不明です。

 なお森本氏は05年度、神戸市教育委員会事務局指導部指導課長
の職責を担っていました。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2013/01/img/20130115840101-4.pdf

 すなわち森本氏は、いじめ・恐喝事件が発覚した当時、当該校の
校長だった片寄八朗氏から報告を受ける立場にあったのです。
 そして06年4月、森本氏は同市立山田中学校長に転出し、後任の
指導課長に就任したのが林氏だった、という事実を付言しておきます。

 神戸市教委は、保護者らが求めている中立性・公正性・透明性を
担保した第三者調査委員会の設置には応じない、という姿勢に
変わりはありません。
 すなわち森本氏・永井氏・林氏らにとって、事件の全容解明とは
「できるかできないか」という問題ではなく、「やるかやらないか」
という問題です。
 そして「絶対やらない」という結論ありきであり、これを断固として
堅持するという方針は、現在事務局を統括する立場にある雪村教育長
にも引き継がれている、ということです。

 ということは、森本氏・永井氏・林氏らには
「いじめ・恐喝事件の全容を解明させてはならない」
なんらかの理由がある、との推定が成立しますし、しかもその理由は
合理的でも合法的でもない、との推認もできます。
 森本氏・永井氏・林氏らが、「そのような見方は邪推に過ぎない」
というのであれば、「邪推に過ぎない」ことを立証できるだけの
材料を公表するのは当然のことです。

 なお13年3月29日付で「教育委員会事務局 指導課 生徒指導係」
が作成した文書には文書番号もなく、公印の押捺もありませんでしたが、
13年4月23日付で雪村教育長が作成した文書には文書番号も公印押捺
もあって、公文書としての体裁を調えています。
 すなわち、仮にこの文書に事実ではない事柄が記載されていた場合、
刑法第156条および同第158条(虚偽有印公文書作成・同行使)に
抵触する可能性が高い、と指摘しておきます。
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Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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