兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

進行協議(その2)

[ 2013/04/17 23:23 ]
 第15回期日は2013年4月16日14時から神戸地裁401号法廷
(植屋伸一裁判長)で、第2回進行協議が行われました。

 被告・兵庫県は従来、龍野高校女子テニス部の練習中にリサさんが倒れ、
心肺一時停止による低酸素脳症を発症し、遷延性意識障害という重篤な
後遺症が残るに至った機序について、医師の鑑定を申請する意向を表明
していました。
 しかし第2回進行協議において、鑑定申請を撤回しました。

 当ブログ12年12月9日記事でご紹介しましたが、井戸敏三・兵庫県知事
が、「兵庫県立龍野高校テニス部事故調査委員会設置要望書」を却下し、
調査委を設置しないと決定したことの根拠として、裁判において
「医学的な解明に向けた調査が行われており、今後、専門家による鑑定等が
予定されて」いることをあげていましたが、これを自ら取り下げました。

 したがって、
「中立性・公正性・透明性を担保した第三者による調査委員会を設置しない」
ことについて合理的な理由はまったくない、ということを井戸知事および
兵庫県が認めたということです。
 今後も井戸知事および兵庫県が「調査委を設置しない」という既定方針を
見直さない、とするならば。
 そこには「合理的かつ合法的ではない、なんらかの理由が存在する」と、
推認するよりほかありません。
 そして「県民の生命身体の安全を守り、県民の権利と名誉を守る」という、
自治体が果たすべき第一義を順守する考えはない、との推定が成立しうる、
と言わざるを得ません。

 補助参加人・東京海上日動火災保険は、なお医学論争に拘泥しています。
 12年12月14日、証人として出廷した循環器内科医が今回も意見書を
神戸地裁に提出しましたが、同社はこれに対してさらに準備書面を提出する
意向を表明しました。
 このため次回期日は13年5月28日10時30分から神戸地裁401号
法廷で、第3回進行協議が行われることとなりました。


 リサさんのご両親は
「あの朝、元気に登校する娘を見送った。それがわずか8時間後には、
思いもよらない姿になっていた。学校管理下で行われていた部活動の
練習中にいったいなにがあったのか?教えてほしい」
と、求めただけです。

 しかし石原元秀校長(当時、現・岡山白陵中高校長、兵庫県上郡町教育委員)
は、ご両親の声に耳を傾けることもなく、一切の調査も行わないまま。
 すなわち、なんの根拠もないにもかかわらず一方的に「学校に責任はない」
と主張して論点をすり替え、きわめて高圧的な態度で臨みました。
 さらに
「学校の教師は、学校の教育活動により生じるおそれのある危険から生徒を
保護すべき義務を負っており、事故の発生を未然に防止するために
必要にして十分な措置を講じる注意義務がある」
(山口地裁岩国支部判決、平7.12.27)
にもかかわらず石原氏以下同校教職員は、当然果たすべき注意義務、
安全配慮義務、調査報告義務を、ことごとく懈怠しました。
 これには、顧問だったM教諭(当時、現・姫路南高教諭)の過失責任と
石原氏の管理責任、兵庫県の使用者責任がともないます。

 さらに石原氏が説明責任を果たさないばかりか、事実ではない風説を流布して
リサさんとご家族の名誉を著しく毀損したこと。
 そして石原氏の姿勢を追認した、学校設置者である兵庫県の無責任体質
そのものが問われているのだということを、あらためて指摘しておきます。

 兵庫県および東京海上日動は、この期に及んでなお原告の真摯な問いかけに
応えようとしていません。
 それはきわめて不誠実な対応であり、とても悲しいことです。

 村上春樹氏は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で、
「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたと
しても、真実を消すことも、作りかえることもできない」
と記しています。

 リサさんという存在を消すことなどできません。
 07年5月24日、龍野高校女子テニス部の練習中に事故が発生した
という事実を消すことはできません。
 「死亡事故や重大事故を繰り返す龍野高校には、二度と悲しい事故を
起こさないよう万全の態勢を整えてほしい」
というご両親の思いは、だれにも消させてはならないのです。
 石原氏らが勝手に記憶を上書きし、事実を隠蔽し、事実ではないことを捏造
しようとしていることは、まさに人道に反する所業というよりほかありません。

 「起こったことを忘れてはいけない。忘れたふりは、なおいけない」
 「いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられる
ことになるだろう」
という井上ひさし氏の言葉を、わたしたちは忘れるわけにはいかないのです。
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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