兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

大野敏明・産経新聞編集委員に質問です。

[ 2013/01/28 20:56 ]
 2013年1月27日付産経新聞[from Editor]は、
「一定条件下の体罰」と題した大野敏明編集委員の一文を
掲載しています。
 以下に引用します。


 大阪市立桜宮高校のバスケットボール部の主将だった2年生が
顧問教師の体罰後に自殺したことで、評論家やジャーナリストらの
多くが体罰の全面禁止を主張している。大阪市の橋下徹市長も
「あらゆる体罰禁止」を打ち出している。国も各自治体も体罰の
実態調査に乗り出している。
 生徒の自殺は痛ましい。顧問教師は、連日殴ったり、数十発殴ったり、
唇を切ったり、「殴られてもええんやな」と発言していたという。
これは明らかに教育の範囲を超えている。生徒はおびえ、教師と生徒の
信頼関係は崩れていたとしか思えない。だから自殺してしまったのだろう。
 こうした事件が起きると、「それでも体罰は必要だ」と言うには
勇気がいる。だが、私は、一定の条件下で体罰は必要だと言いたい。
それはどのような条件か。
 まず、対象を故意行為に限るべきだということ。故意行為とはわざと
行うことである。サボる、ズルをする、卑怯(ひきょう)な行為をする。
責任を転嫁する、違法、不法行為をする-などである。みなが掃除を
しているのにさぼったり、たばこをすったり、万引をしたり、といった
行為に対して体罰を行うことは意味がある。ねじれた心を正すためである。
 もうひとつは暴力を振るう生徒に対しての体罰である。学校教育法では
体罰が禁止されているため、生徒に暴力を振るわれても、教師は逃げる
しか方法がなく、正当防衛行為すらできない。殴られた教師は泣き寝入り
である。暴力生徒に対して、殴られる痛みを教えることは必要である。
 逆に、まじめに、一生懸命やっている者に体罰を加えることは何の意味も
もたない。体罰を加えても、技能が向上したり、体力が充実したりしない
からである。
 それと大事なことは、体罰は1発に限ることである。暴力を振るうと
興奮して暴力をやめられなくなる人がいる。顧問教師はそのたぐいの人では
なかろうか。不法行為があったとしても、何発も殴っていいことはない。
けがをさせてもならない。殴ってけがをさせるような者は殴る資格がない。
殴るのにも技術がいる。
 こう考えると、かの顧問教師の体罰は、体罰ではなく単なる暴力である
ことが分かる。
 教師と生徒の間に信頼関係があれば、殴られても生徒は悪感情をもたない。
その場合、体罰はむしろ有効である。だから、体罰の全否定には反対である。
(以上、原文ママ)


 これに対して住友剛・京都精華大学准教授は、
「少なくとも教員が子どもを殴っているそのときは、子どもへの自分の怒りが
先に立っていて、肝心の子どもの姿が見えていない、子どもが信じられなく
なっているのではないか?」
「一発殴ることで、逆に信頼関係が壊れることもあるのでは?あるいは、
本当に信頼関係があれば、話せば通じるのではないか?」
「子どもとの間に信頼関係があるということに、教員が甘えていてはいけない
のではないか?たとえどんなに信頼関係があっても、やっていいこと・ダメな
ことがあるのではないか?」
と疑問を呈しました。

 また『子どもの権利ガイドブック』(日本弁護士連合会編、明石書店、
2006年、108頁)の
「児童・生徒が『いじめ』などで暴力を振るっているとき、また教師に暴力を
加え、あるいは学校の器物などを損壊しているとき、これを実力で制止する
行為は体罰ではない。
 しかし『制止』の程度を超えて、その機会に『なぐる』『蹴る』などの行為に
及べば、体罰となる。
 なお、この場合には、正当防衛、緊急避難などが成立する余地があるので
その考慮が必要となる」
との記載を引用し、大野氏がいうような「正当防衛行為すらできない」ことはない、
としたうえで、
「状況によって『実力』を行使することを許容してはいても、そこには歯止めが
かかっている。すなわち日弁連の考えに基づけば『許される体罰』はない」
と指摘しています。


 そして大野氏が主張するように「殴るにも技術がいる」のであれば、
大学生が教職課程を履修する際には「殴る技術」について学ばなければなりません。
 これをだれが、どのような方法で学生に指導するのでしょう?
 採用試験の際には、受験者が「殴る技術を適切に習得している」ことをだれが、
どうやって判定するのでしょう?
 住友氏も指摘しているように、教師と生徒のあいだに信頼関係があったとしても、
1度殴られたことで崩壊することもあり得ますし、そうなれば信頼関係の修復は
きわめて難しいのではないでしょうか?
 その場合、大野氏は責任がとれるのでしょうか?
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Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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