兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

石原元秀氏について(その8)

[ 2013/01/09 15:25 ]
 2013年1月8日付朝日新聞は、世界的な指揮者、
ダニエル・バレンボイム氏へのインタビューを掲載しています。
 このなかで同氏は
「音楽家は政治に何の貢献もできないが、好奇心の欠如という病に
向き合うことはできる。好奇心を持つということは、他者のことばを
聞く耳を持つということ。相手の話を聞く姿勢を失っているのが
今日のあらゆる政治的な対立の要因です。
 イスラエルもパレスチナもそれ以外の大国も、己の無知と好奇心の
なさをいまだに恥じようとしない。だから対話が進まない」
と指摘しています。

 「相手の話を聞く姿勢を失っている」のは、石原元秀氏
(現・岡山白陵中高校長、兵庫県上郡町教育委員)もまったく同様です。

 石原氏は12年12月7日、神戸地裁101号法廷(植屋伸一裁判長)
において尋問に臨みました。
 この際、07年5月24日龍野高校女子テニス部の練習中にリサさん
が倒れ、心肺一時停止による低酸素脳症を発症し、遷延性意識障害
という重篤な後遺障害が残るに至った事故について、
「原因について調査していない」
「原因究明が再発防止につながるとは思わない」
「保護者に説明しなければならないとも思わない」
と言い切りました。

 事故は家庭で起きたのではありません。
 学校管理下で行われていた部活動中に発生したのです。
 保護者の目の届かないところで起こった事故なのですから、
「わが子の身にいったいなにがあったのか?」
を知りたいと思うのは当然ですが、石原氏はその悲痛な訴えに耳を貸す
ことはなく、すなわち生徒と保護者の信頼を裏切っておきながら反省も
していません。

 そして
「謝罪すれば学校に責任があったということになる。そうなると保護者
から金銭的な要求があると予想した」
「謝罪すれば道義的責任が法的責任にすり替えられるおそれがある」
と、なんの根拠もない独り善がりな主張を繰り返しました。

 そのうえで、
「熱中症について聞いたことはない」
「独立行政法人・日本スポーツ振興センターが運営している災害共済
給付制度についても知らない」
と堂々と居直りましたが、これは「己の無知を恥じることがない」
ことのあらわれです。

 教師にとって「好奇心を持つ」ということが、「生徒への愛情」と
同義であるべきことは言うまでもありません。
 目の前でリサさんが倒れるのを見た当時のテニス部員たちは
パニック状態に陥り、いまも無力感にさいなまれています。
 07年には高2だった彼女たちも、13年3月には学窓を巣立ち、
いよいよ社会人になります。
 この間の成長は、めざましいものがあります。
 それはすなわち
「同様の事故に直面しても、いまなら落ち着いて対応できる」
という思いであり、だからこそ高2のときには
「パニックを起こしてしまい、なにもしてあげられなかった」
ことを反省し、いまも日々自分たちを責めているのです。

 しかし石原氏は
「彼女たちの心のケアに配慮したことはない」
ことを認めたうえで
「事故現場の近くには消防署があった。もう高校生で、あんなに大勢いた」
と、未成年だった彼女たちに責任を転嫁するかのような主張さえ展開
しました。

 これは学校側が注意義務と安全配慮義務を果たしていなかった
ことを棚に上げ、成人である教職員が負うべき過失責任と管理責任を
無視するものです。
 この発言を傍聴席で聞いた彼女たちは、あらためて強い衝撃を受けました。
 それは石原氏には「生徒への愛情」など微塵もないことを思い知らされた
からに、ほかなりません。

 彼女たちが高校生として過ごした3年間は、石原氏の校長在任期間と
重なっていました。
 当時の校長に突き放されたということは、すなわち自分たちの高校時代を
否定された、と受けとめるのも無理からぬことです。
 とても残酷なことであり、教育者としてけっして許されないことです。

 石原氏は、いったいなにをめざしているのでしょう?
 石原氏にとって大事なものとは、いったいなんなのでしょう?
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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