兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

隠蔽と捏造(その6)

[ 2013/01/01 11:02 ]
 2012年12月26日、NHK「追跡!真相ファイル」は
「“消えた”子どもの自殺」というテーマで放映しました。
 これは、教師による不適切な指導や暴行を受けたことによって
児童生徒が発作的に自殺したにもかかわらず、学校が
「事故死であり原因は不明」としていることで統計上自殺事案として
扱われていない、という問題を取りあげたものです。

 このなかで、馬場豊子・長崎市教育長は
「統計上『0』が『1』になったところで、教師の意識が変わるわけではない」
と言い切り、西田正則・兵庫県たつの市長は
「事務上の手続きについては、まあいっぺん考えてみよう」
と突き放しました。

 長崎市の事案は04年3月、男性教諭の不適切な指導によって
心理的な圧迫を受けた中2男子が校舎4階の窓から飛び降りた、
というものです。
 しかし学校は「転落事故による死亡」と事故報告書に記載し、
教師の指導にも問題はなかった、と一貫して主張しました。
 保護者は事故報告書の書き換えを要望しましたが、市教委は
「判断する権能がないため修正できない」と、これを拒否しました。
 長崎地裁は08年6月、予見可能性については認めず、原告の
損害賠償請求を棄却しましたが、教師の指導と自殺には因果関係があった
と認定しました。

 実は長崎市教委は06年1月、保護者には連絡しないまま
「転落死」から「自殺」へと判断を変更し、県教委に報告していました。
 市教委は保護者に連絡しなかったのは、
「係争中で、報告するタイミングを逸したから」
との苦しい説明に終始しています。
 ただし原因は「不明」としたままで、これを「教師の叱責」に変更するよう
求める保護者の要望を、頑として受け付けないまま今日に至っています。
 そして馬場氏はNHKの取材に対し、統計上「0」となっている「教師の叱責」が
「1」になっても教師の意識は変わらない、と根拠も明示しないまま決めつけた、
というのが今回の顛末です。
 生徒指導に関する「教師の意識」を変えるよう、指導するのが市教委の
ミッションですが、長崎市教育長は「ミッションを遂行する意思はない」
と断言したのです。

 たつの市では1994年9月、小6男子が担任の男性教諭から繰り返し
暴行を受けた直後、自宅裏山で縊死しました。
 警察は現場検証の結果、自殺と認定したうえで、事情聴取において暴行の事実を
認めた教諭を書類送検し、龍野簡裁は罰金10万円の略式命令を言い渡しました。
 保護者が提訴した損害賠償請求訴訟でも、神戸地裁姫路支部は00年1月、
暴行と自殺の因果関係を認める原告勝訴判決を言い渡し、確定しました。

 しかしたつの市は、あくまで「学校管理外の事故」であり「原因は不明」と
言い張り、事故報告書には虚偽の内容が記載されたままです。
 西田氏は事件発生時の龍野市(当時)教育長で、その後助役、そして市長に
就任しました。
 西田氏は事件の1年後、保護者に対し
「交通事故だろうが自殺だろうが、すべて事故死だ」
と言い放ちました。

 馬場氏や西田氏の発言には、子どものいのちを「統計上の数字」としかとらえず、
真相究明を「事務上の手続き」としかとらえない。
 すなわち、子どもが自らいのちを絶つに至る経緯について真摯に向き合おうとしない、
冷酷きわまりない姿勢がうかがえます。
 これらはいずれも
「『あってはならないこと』は、あってはならないのだから、『なかったこと』に
してしまおう」
という、行政の隠蔽体質が如実に表れたものといえます。

 そこには子どもたちに対する愛情も、保護者に対する敬意も、うかがうことは
できません。
 すなわち現実から目をそむけ、「教師と教育行政は無謬である」との神話の世界に
逃げ込んでいるのです。
 児童生徒および保護者との信頼関係をぶちこわしているのは、こうした隠蔽体質に
ほかなりません。

 NHKには「ひどい実態に驚いた」という反響が多数寄せられ、再放送が決定しました。
13年1月6日8時25分からです。ぜひご覧ください。

 なおNHKの取材には、西田正則・たつの市長と苅尾昌典・たつの市教育長が
そろって応じていましたが、事故報告書の書き換えは本来、教育長の職務権限に
属するものです。
 市長が教育長を差し置いて私見を述べたことは、地方教育行政法第23条に抵触する
疑いがあることを指摘しておきます。
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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