兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

生徒のいのちと教師のメンツ、どちらが大事ですか?(その5)

[ 2012/12/08 08:34 ]
 2012年12月5日付毎日新聞滋賀版に

 09年7月に愛荘町立秦荘中で柔道部員の村川康嗣君(当時12歳)が、
顧問の元講師(29)に技をかけられて翌月死亡した問題で、遺族が同町と
元講師に計7500万円の損害賠償を求めた訴訟の第6回口頭弁論が4日、
大津地裁(長谷部幸弥裁判長)であり、元講師への初尋問が行われた。
 元講師は事故当日の康嗣君の様子について「普段とあまり変わらないと
思った。(体調の変化に)気付いてやれなかった自分を反省している」
と述べた。
 一方、遺族が主張する部員への日常的な暴力については「『もっと頑張れ』
という気合付けでたたいたことはあるが、体罰とは思っていない」
と主張した。
 秦荘中への赴任前に指導経験はなく、練習計画を作っていなかったという。
 また、村川君の同級生で柔道部員だった男子生徒(16)の証人尋問もあり、
男子生徒は部員への日常的な暴力があったとして、「怒られるのが怖くて、
体調が悪くても言えなかった。休みたいと言える環境じゃなかったので事故が
起きたと思う」と語った。

という記事がありました。

 当ブログ12年11月24日付記事でもご紹介しましたが、
望月彰・愛知県立大教授は
「指導と叱責と懲戒、そして虐待。これらを明確にしておく必要がある。
 学校教育法は教師の懲戒権を認めてはいるが、『指導』の名のもとに
『虐待』が行われているとすれば、子どもの権利を侵害していることは明らかだ」
と指摘しています。

 上記記事は、まさに「指導」があっという間に「虐待」に変質してしまった
という事案であり、そして「指導者」自身が、その事実に気づいていないという
悲しい実例です。

 なお、東京都教育委員会が08年6月に作成した
「部活動中の重大事故防止のためのガイドライン」は、
「学校の管理下においては、指導を担当する教職員に生徒の安全を確保すべき
指導・監督上の注意義務が存在します。部活動においても教職員の注意義務があり、
その程度については、万全を期すべき注意義務があるとされています」
と明確に規定しています。
 さらに、
「運動やスポーツには、それぞれ特有の技術や練習内容・方法があり、固有の
危険性が内在しているが、経験の少ない生徒にはそれらを予見し、未然に防止する
知識と能力が備わっているとは言えない」
のであるから、
「指導者が繰り返し安全指導や注意喚起を行い、活動を通して生徒に安全な活動を
行うための判断力や身体能力等を育成し、生徒自らが危険性を予見し回避することが
できるよう組織的・計画的に指導を充実していくこと」
と明記しています。

 上記ガイドラインについて愛荘町は、
「それは東京都教委が勝手に決めたことで、われわれはあずかり知らぬこと」
すなわち
「同じ公立校といっても東京都とは事情が違う。自治体の規模も教員のレベルも
異なるのだから、同様の注意義務を期待されても困る」
とでもいうのでしょうか?

 兵庫県にも、同じ問いを投げかけないわけにはいきません。
 愛荘町民や兵庫県民は、東京都民と同等には人権を守られなくてもしょうがない、
とでもいうのでしょうか?
スポンサーサイト
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

プロフィール

heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

最新トラックバック