兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

介護の日々(その7)

[ 2012/11/05 21:32 ]
 2012年11月5日付東京新聞「筆洗」は、

 <てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめて いきていこうとおもう。
うつくしいていねんは しんじつそのものです。くるしみのなかで 
ひかりかがやいています>

 美しい諦念を握り締めて生きる。この言葉を書いたのは十五歳の少年だ。
臼田輝(ひかる)君は一歳になる直前、都内のマンション五階から落ちた。
動くことも、話すこともできなくなった。母の真左子さんは
「心も身体も毀(こわ)れてしまった」と思った。
 数年たって、彼の目が輝く瞬間があることに気づいた。鏡を覗き込むように
瞳を見つめなければ、気づかない光だ。
 十三歳で指先の微細な動きでひらがなを表示する装置に出合い、光は
言葉となった。

 <へいわがくればいい/うちゅうがえいえんにじかんのあるかぎり/
いつのひか ちいさないのちがうまれて/そだっていくように>

 その言葉に、みんなが驚いた。真左子さんは言う。
「やっと命をつないで生きている子どもたちは、喜びと悲しみは隣り合わせ
だと知っている。輝もすべてを受け入れていたのでしょう」

 <てのなかにあるしんじつは さいわいそのものです。のぞめばいつでも
てにはいりますが だれもこのことはしりません。なぜならにんげんは 
つねにらくなみちのほうをこのむからです。いきるということは 
くなんとなかよくしてゆくことなのです>。

 輝君は十六歳で天に召された。


と書いています。

 この一文によって。
 ひとのいのちはなんと尊く、ひとの魂はなんと美しく気高いのかと、
あらためて思い知らされました。

 それは同時に。
 リサさんに対して、「こんな子にリハビリしても意味がない」、と
臆面もなく主張する被告・兵庫県と東京海上日動火災保険の、
きわめて冷酷な姿勢を浮き彫りにするものでもあります。

 最近刊行された
『生きている 「植物状態」を超えて』(河北新報社編集局編、日本評論社)
には、遷延性意識障害と診断されながら、懸命のリハビリで機能を回復した
患者さんの実例が紹介されています。
 リサさんが医師・看護師・理学療法士など専門家の支援を受け、
一日も早く言葉を取り戻す日が訪れることを、心より願うものです。
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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