兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

石原元秀氏について(その4)

[ 2012/09/24 13:15 ]
 2012年9月20日付毎日新聞(東京本社版)「発信箱」で、落合博・論説委員が

 2008年北京五輪の開閉会式に際し、中国政府は雨雲に化学物質を散布したり、
ロケット弾を撃ち込んだりして晴天を確保した。
 国家の威信を世界にアピールするために展開された「人工消雨作戦」だ。
 当時の中国では、雨が降るという「仕方のないこと」が、責任を問われるほどの
「公的な問題」になっていたといえる。
 名古屋大准教授の内田良さんの講演「柔道事故の実態と特徴」は意外な話から
始まった。
 「仕方のないこと」として見過ごされてきた柔道事故を、どうしたら「公的な問題」
にできるのか。
 情報の公表、集約、分析に基づいた実態把握と原因究明が不可欠となるが、
「解決できる」という期待や想定を持たなければ始まらない。
 部活動や体育の授業で起きた柔道事故で1983年度から昨年度までの29年間に
118人以上の中学、高校生が亡くなっていたことが分かったのは教育社会学者である
内田さんの丹念な調査のたまものだ。
 講演会場で出会った元日本体育学会会長で、奈良女子大名誉教授の山本徳郎さんから
「柔道死問題に出会い、考えさせられたこと」と題した論考をいただいた。
年間平均4人が柔道で亡くなっていることを内田さんの調査で知り、言葉を失ったという。
 自身を含む体育学やスポーツ科学の研究者が目を向けてこなかったことを恥じ、
<我々の領域は子どもたちの命を育み大切にすることを標榜し、それを自負してきた
はずなのに、どうだったか>と自問したうえで、目に見えない部分を多面的に考察する
視線が存在していなかったことを挙げる。いわく<学術的貧困>ではないかと。
 「スポーツに事故はつきもの」で済ませている限り、悲劇は繰り返されるだろう。
 「子どもの命は救える」と考えるところから始めなければならない。

と書いています。

 翻って龍野高校。
 07年5月24日の女子テニス部の練習に際して。
 石原元秀校長(当時、現・岡山白陵中高校長)や顧問のM教諭(同、現・姫路南高教諭)
に手続き上の瑕疵があったこと。
 M教諭の過失責任と注意義務違反、石原氏の管理責任と安全配慮義務違反、そして
学校設置者である兵庫県の使用者責任が免れ得ないことは、繰り返し指摘してきたとおり
です。

 しかしなにより問題なのは、起こしてしまった事故について精緻に検証せず、
したがって原因も究明しないまま保護者に説明も謝罪もせず、再発防止策の策定さえ
していない、という厳然たる事実です。

 石原氏が安全対策を等閑に付してきた結果、リサさんが熱中症で倒れ、心肺一時停止
による遷延性意識障害という重篤な後遺障害に見舞われました。
 にもかかわらず、反省すべきは反省し、改めるべきは改め、謝罪すべきは謝罪すると
いうあたりまえのことさえ実行されないまま、今日に至っています。

 「スポーツに事故はつきもの」と開き直ることが、はたして教育者と呼ばれる人物に
とって適切な行為なのでしょうか?
 生徒の安全に万全を期すこともないままで、教育者と呼ばれる人物は矜持を保てる
のでしょうか?
 自分一己の利益を守るために、生徒や保護者の権利と利益を侵害し名誉を毀損する
ことが、教育者と呼ばれる人物には許されるのでしょうか?
 皆さんは、どうお考えですか?
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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