兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

保護者の知る権利について(その13)

[ 2012/07/26 14:55 ]
 2012年7月26日付読売新聞長野版は、

 松本市の柔道教室で2008年5月に起きた事故で、業務上過失傷害容疑で
書類送検され、長野地検が不起訴(嫌疑不十分)とした当時の男性指導者(39)
について、「起訴相当」とした24日付の長野検察審査会議決。事故の予見可能性
の有無を焦点に、今後の地検の判断が注目される。

 議決書によると、事故が起きたのは08年5月27日夜。柔道教室に通っていた
当時小学6年の沢田武蔵さん(15)が、練習中に男性指導者から変則的な投げ技
をかけられ、急性硬膜下血腫などの傷害を負い、体を自由に動かせないなどの
後遺障害が残った。
 地検は今年4月、技をかけられた沢田さんが床に頭部を打ち付けていない状況
を検討し、「予見可能性があったと認めるには疑念が残る」と判断、男性指導者を
不起訴とした。

 これに対して議決は
〈1〉男性指導者と沢田さんの体格差が大きい
〈2〉変則技が危険で子どもにかける技ではないと別の指導者が述べている
〈3〉(頭を床に打ち付けなくても)頭を揺さぶられ、急性硬膜下血腫を引き起こす
可能性があると記載した文献がある――と指摘。
 「危険を伴うスポーツである柔道指導者として、これらの情報を知り得るべき立場
にあった」として予見可能性を認め、「より危険の少ない技をかけることで本件結果
を回避することが可能だった。被害の結果も大きい」として起訴相当と結論づけた。

 議決を受け、25日に記者会見した沢田さんの母佳子さん(41)は
「早い決断がなされたことに感謝したい。被害者が声を上げないとスポーツ事故は
なくならない。今回は大きな一歩だ」と評価した。
 一方、男性指導者側の代理人弁護士は「議決の具体的な内容が分からないので
コメントできない」と話した。
 長野地検の小池充夫次席検事は「審査会は、重大な事故で被害者が障害に
苦しんでいることを、より重く受け止めたのではないか。一般市民と法律家の考え方、
使命、立場の違いが現れたケースだと思う」と述べ、「議決内容を吟味し、予見可能性
の判断について十分に検討したい」とした。

 柔道事故を調べる名古屋大の内田良准教授(教育社会学)によると、1983年以降、
全国の学校で中高生118人が柔道中に死亡している。内田准教授は「他競技と違い、
行き過ぎた指導や体罰が技の中に隠れている」と指摘する。
 全国柔道事故被害者の会(東京)によると、練習中の事故で指導者が刑事責任を
問われたのは、2010年、大阪市内の柔道教室に通っていた男児が死亡し、指導者
が業務上過失致死罪で罰金刑を受けた1例だけという。事務局の小林恵子さん(62)
は「『武道は事故が付き物』と片付けられ、泣き寝入りしてきた家族も多い。今回の
議決で大きく前進した」と受け止めた。

と伝えています。


 当ブログ11年12月28日記事でもご紹介しましたが、11年12月27日に
横浜地裁が部活動の練習において「重大な傷害の結果が生じる危険性」があったにも
かかわらず、顧問教諭がこれを察知し必要十分な措置を講じなかったことが、すなわち
「過失」であると厳しく指弾し、医学的な専門知識をもたない顧問教諭が「具体的な
傷害の内容を予見できなかった」からといって、安全配慮義務を免れることはできない、
と明確に認定しました。

 今回の長野検察審査会の議決も、すべてのスポーツは危険と隣り合わせである、
という前提のもとに、
「指導者が指導者たるにふさわしい適格性を備えているのか?」
という根本的な問題について検察が捜査すべきだ、という市民感覚を反映したもの
といえます。
 そしてもちろん、「わが子の身になにが起こったのか?真相を知りたい」
という保護者の切実な声を、市民が真摯に受けとめたものです。

 沢田武蔵くんは、学校で事故に遭ったわけではありません。
 しかし全国から約5万6000人もの柔道関係者が長野地検松本支部に
「被告には責任はない、不可抗力である。まさか回転運動だけで脳の血管が
切れるなんて予見できない」
として、無罪を主張する嘆願書を提出しました。
 しかし5万6千人のうち、いったい何人が事故発生に至る経緯について
正確かつ詳細に知っていたのか?は、いまも疑問のままです。
 このような体質は、学校や教育委員会と同じです。

 学校や教育委員会の隠蔽体質が、市民感覚とどれほど乖離したものか。
 今回の議決は、きわめて象徴的な事案といえます。
 しかし教諭も教委職員も、市民であることに変わりはありません。
 「もし自分が当事者だったら」と想像することは、それほど難しいことでしょうか?
 すべての子どもたちに愛情をもって接すること、保護者に誠実に対応することは、
そもそも望むべくもないことなのでしょうか?
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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