兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

生徒のいのちと教師のメンツ、どちらが大事ですか?(その4)

[ 2012/07/14 20:20 ]
 「大分の母ちゃん」さんから、「心を育てる教育」というタイトルで
コメントをお寄せいただきました。
 以下に引用します。

 工藤剣太くんの事件を知り、裁判の傍聴にも行きました。
 私は工藤さんと同じ年代の、子育て中の普通の母親です。
 厳しい先生はいつの時代もいましたが、最近の厳しさは社会の変化と共に
随分人間性のない非人道的な事を平気でする人間が増えてきた気がします。
まさしく「自己中心」的指導の現れだと思います。
 このような問題はheppoko runnerさんのように、現実を調べ上げ事実を
公表すると共に、教育行政の動きに伴う学校現場での教員の立場の変化、
もっと言えば、この国の教育に対する未来への考え方が問われる大きな問題
だと思います。

 この国の教育は、随分と人間性を育てることからかけ離れてしまっています。
 本来教育の目的は、「教育基本法」にあるように「人格の形成(完成)」が
根本で行われるべきです。
 しかし今は成績優秀(学問・部活動)が一番に問われ、それに対応した
学校教育・現場となり、親もそのような子育てに真剣で、それが子どもに
とっての幸せ・・・のような錯覚にとらわれている気がしてなりません。

 先日、民間TVで「スパルタ教育VS自主性教育」なる内容で、高校の
ラグビー部の指導者の実情が放映されていました。どちらの先生も
「花園へ導きたい」との思いで真剣に指導されていました。試合は前半戦
スパルタ指導チームがリードしていました。
 思わず自主性チームの監督(指導者が)子どもたちに言葉をかけに行くと
「先生、大丈夫!これは作戦だから後半戦を見ていてください」と
生徒から反対に言われていました。
 結果は、自主性チームが逆転し花園へのキップを手にしました。試合後の
子どもたちの様子が私には印象的です。
 負けたスパルタ指導の子どもたちは先生に深々と頭を何回も下げ
「申し訳ありません・スミマセンでした!」と号泣しながら謝っていました。
 「先生を花園へ連れて行きたかった」とも言っていました。
 先生を思う気持ちは分かりますが「何の為にこの子たちは頑張っているのかな?
強く厳しい指導者のため?指導者がいなかったらどうなるの?またこの子たちも
同じようにスパルタを我が子や周りの人間にするようになっていくのか・・・」
と複雑な想いでした。

 対する自主性指導の子どもたちは自ら作戦をねり勝利を導きました。
 終始楽しく競技をし試合後、先生とのハイタッチと満面の笑みで喜び合って
いました。
 「この子たちは、どんな境遇に立っても自ら道を切り開き自分を大切にすると
同時に他人をも尊ぶ人間に育っているな・・・」と感激しました。
 どちらにせよ、指導者のもと子どもたちは真剣に取り組んでいる事は
間違いないと思います。
 そんな純真な子どもたちが指導者の元で命を失う現代の教育現場は、
教育のあり方を根本から問われているのではないでしょうか?
 また、教育者も競争や評価の現場で自分のことしか考えられなくなって
きたのだと思います。

 ふと、想います・・・
 スパルタ的思想は「誰か(国)の為に、誰か(家族)を守るために・・・」
と自己犠牲を受け入れる「戦争精神」とダブってしまうのです。
 自主性を重んじることは、一人一人を認め尊ぶこと。
 一人の人間を守ることこそ皆の幸せ・平和へとつながるのだと私は思うのです。

 最後に、ラグビー部でスパルタ指導をされている先生が「教育の本質」を
おっしゃっていました。
 「自主性を教える事はスパルタよりも非常に難しい事です。それを実践
してらっしゃる○○先生は凄いと思います。尊敬しています」と。
 難しい事であっても教育だからこそ実践しなければならない、と私は思います。
 物事は繋がっています。教育現場で起こる出来事はこの国の資質そのもの
なのです。
 剣太くんの事件も含め、学校での事件事故という切実な問題は私たち親も含めた
現代の大人の傲慢さが現れた、非常に深刻な事態を警告しているのではないか、
と感じています。


 大分の母ちゃんさん、ありがとうございます。
 大分の母ちゃんさんがおっしゃるように、
「自主性を重んじることは、一人一人を認め尊ぶこと」であり、
「一人の人間を守ることこそ皆の幸せ・平和へとつながる」のだという意識を、
教師はもとより、社会全体として共有することが重要だと痛感しています。

 大津市教委が、自殺事件の真相究明に消極的なのはきわめて遺憾ですが、
これは大津市だけの特殊事情ではありません。
 大分県教委・兵庫県教委はじめ、同様の事案は枚挙に暇がありません。
 教師や行政のメンツを守ることと、子どもたちのいのちを守ることは、
どちらを優先すべきか?と比較検討するようなことではありません。

 起こしてしまった事故を精緻に調査し、真相を究明して再発防止策を策定する。
 謝罪すべきは謝罪し、反省すべきは反省し、改めるべきは改める。
 すべてあたりまえのことです。
 子どものいのちを大事にしない国に、未来などあるのでしょうか?
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プロフィール

heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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