兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

筋金入りの隠蔽体質@神戸市(その4)

[ 2012/04/01 07:49 ]
 当ブログ2012年2月29日付記事の続報です。
 まず神戸市立小学校で05年4月~06年2月に発生したいじめ事件と、
神戸市議会文教経済委員会への陳情に関する経緯につきましては、
「日本の子どもたち」
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message.html
をご参照ください。

 そして12年3月28日付毎日新聞(大阪本社版)「ニュースUP」に
「追跡 いじめ問題 認めぬ学校側」という記事が掲載されました。
http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20120328ddn013100073000c.html

 上記記事のなかで亀田早苗記者は

私は何回か、いじめによる自殺を取材した。どのケースも学校が「2次被害」を
起こしていた。発生当初だけは謝罪することがあるが、「なぜ命を落とさなければ
ならなかったか」と調査を求める遺族に言を翻して事実を隠したり、沈静化を図る
過程で孤立させたりする。今回は被害者が自殺に至るような事態は避けられたが、
構図は同じだ

と指摘しています。

 ぼくは、複数の現職公立校教諭から
「『ごめんなさいで済むこと』なら、学校は綿密に調査して保護者にも報告する。
しかし『ごめんなさいでは済まないこと』が発生したときには、『なかったこと』に
しようとする。なぜなら『あってはならないこと』は『あってはならない』のであり、
『あってはならないことがあったら、いろいろ困ったことになる』からだ」
という証言を得ています。

 すなわち、
「子どもたちのいのちや人権よりも、教師の立場やメンツを優先する」
「学校の管理責任は認めない。そのためには手段を選ばない」
という考え方が、教育現場にも行政にも蔓延しているという実態があるのです。

 リサさんの場合も、まったく同様です。
 07年7月時点では松本有史教頭(当時、現・加古川南高校長)が
「クラブ活動中のことなので、責任は当然学校にあります。校長も同じ考えです」
と述べ、学校の責任を認めていました。
 しかしリサ父が07年7月、石原元秀校長(同、現・岡山白陵中高校長)と
面談した際、石原氏は
「お父さんねえ、いま責任がどうだとか言っている場合ではないですよ。
娘さんの回復を願いましょうよ」
と論点をはぐらかし、明言を避けました。

 石原氏は責任を認めないばかりか、
「リサさんには持病があった。事故ではなく病気なのに学校のせいにしている」
「保護者から多額の金品を要求され困っている」
などと、まったく事実ではないことをあちこちで吹聴し、リサさんとご家族の
名誉をいたく傷つけたことは、当ブログでも繰り返し指摘してきたとおりです。

 「起こったことを忘れてはいけない。忘れたふりは、なおいけない」(井上ひさし)
のです。
 行政はありとあらゆる手段をもって事実を隠蔽し、事実ではないことを捏造し
「事故が起こった」という事実を風化させようとします。
 これを看過し放置するということは、同様の事故を再発させる芽を摘み残す
ということです。
 それは
「こんな目に遭うのはわたしたちだけでたくさんだ。二度と起こしてほしくない」
という、被害者とご家族の痛切な思いを裏切ることです。
 この点、皆さんにもぜひご理解いただきたいと思っています。
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heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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