兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

大分県教委の姿勢について(その3)

[ 2016/06/23 21:22 ]
 2016年6月18日、藤本哲弘・大分県教育庁教育人事課長から
「日田市の県立高校男性教諭の懲戒処分について(回答)」と題する
平成28年6月15日付文書が郵送で届きました。
 以下に全文を引用します。

 処分事案については、広く県民の皆様にお知らせし、再発防止に向けた取組等
へのご理解をお願いするため、テレビ局、新聞社を通して広報しています。
県教育委員会ホームページへの掲載については、県民の皆様のご意見やご要望に
応じて検討させていただきます。
 本県では、「体罰を加え児童生徒を負傷させた者は、戒告等の処分を行う。」
という懲戒処分等の基準に基づいて、被害生徒に傷害なき場合は訓告とし、個々の
事案に応じて、軽減又は加重して懲戒処分を決定しています。本事案は、被害生徒
に傷害は無かったものの、過去に体罰による懲戒処分を受けていたこと、校長への
直ちの報告を怠ったことから、加重して減給処分としたところです。
 今回、体罰を行った男性教諭に対し、指導する部活動の保護者会、OB会、日田市
の競技団体会長から嘆願書が提出され、これまでの指導に対する高い評価と一日
でも早い復帰を望む声が届けられました。特に、保護者会の嘆願書には、被害生徒の
保護者も署名しており、被害生徒及びその保護者からも部活動指導への強い復帰
要請がありました。そこで、複数教員での指導を行うこと、管理職の日々の面談指導
を受けることを条件に、部活動への復帰を容認したところです。


 あくまで処分は、「被害生徒の傷害の有無」によって判断するとしており、
工藤奈美さんが指摘している「暴行を受けた生徒の心の傷」については顧慮しない
方針を明示しています。
 わたしが質問で指摘した「暴行が常態化していること」や、竹田高剣道部顧問だった
Sとの関連性については言及していません。

 そのうえで藤本氏は、日田市の県立高男性教諭を通常以上に厳格に処分したとし、
「体罰が生徒や保護者、OB会や競技団体など関係者からの信頼を失墜させた
ものではない」
ことをことさらに強調し、
「被害生徒及びその保護者からも部活動指導への強い復帰要請があった」
としています。

 これについて工藤奈美さんは
「学校の外で教員が市民に暴力をふるって逮捕されても、嘆願書を出せば許して
もらえるのか?学校の中で教員の生徒に対する暴力が許されるのであれば、
エスカレートするのは当たり前だ。それは竹田高剣道部顧問だったSが立証している。
 これを『仕方のないこと』と許すわけにはいかない」
と述べ、大分県教委の判断に不信感を表しています。

 また工藤剣太さんの父・英士さんは
「この教員は以前にも生徒の鼓膜を破るほどの暴力を加えており、今回明らかになった
事案は氷山の一角だと思う。日常的な暴行の有無を含め、全容解明につながる
包括的な調査は行ったのか?
 また被害生徒の保護者までもが嘆願書に署名したというが、これは自らの意思に
よるものだったのだろうか?」
と疑問を呈しています。
 過去の事例に鑑みれば、地方都市での同調圧力はすさまじく、被害生徒の保護者が
同調しなかった場合、コミュニティから「村八分」的な扱いをされるおそれがあり、
不承不承従わざるを得ない状況に追いつめられる可能性があります。

 そして「嘆願書」に記載する常套句は、「熱心のあまり」です。
 つまり「熱血先生」には、生徒に対する暴力も指導の一環として容認できる、という
神話が存在します。
 これはテレビドラマの見過ぎではないでしょうか?

 「生徒に対する暴行を繰り返す教諭に注意しても、異口同音に『信頼関係があるから
大丈夫』と釈明する」
という、中学校教員の証言もあります。
 信頼関係があるかどうかを決めるのは生徒であり、仮に信頼関係があったとしても、
それがたった一度の暴言や暴行で崩れ去ることも十分にありうる。
 という想像力が、大分県教委に働いている様子はうかがえません。
 こうした状況を温存すれば、
「熱心でさえあれば、教諭の生徒に対する暴力は正当化できるのか?」
という素朴かつ根本的な疑問を封じ込め、集団的思考停止状態に陥ります。
 ひいては、学校事故・事件が発生した場合に事実を隠蔽し、事態の沈静化を図る
工作を可能にし、被害者と家族の人権を侵害し名誉を毀損することにつながることを、
あらためて指摘しておきたいと思います。
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プロフィール

heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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