兵庫県立龍野高校テニス部事故を考えるウェブサイト

2007年5月24日、兵庫県立龍野高校テニス部の練習中に倒れ、いまも意識が戻らないリサさん。事故発生とその後の状況について検証し、ともに考えたいと思います。

日体大研修会&「指導死」シンポジウム(その4)

[ 2017/10/17 17:47 ]
 竹田高は、工藤剣太くんが亡くなった8月22日を「健康・安全の日」として
毎年全校集会を開催していますし、
http://shunichimori.blog130.fc2.com/blog-date-201308-4.html
専大附高は「恵杯」を毎年開催しています。

 生徒は毎年入学と卒業を繰り返しますし、人事異動によって事故・事件が
発生した当時の状況を知る教諭がいなくなるのは避けられないことです。
 しかし、吉川優子さんが言うように
「事故の教訓を風化させてはいけない」
http://shunichimori.blog130.fc2.com/blog-date-201709-2.html
のですから、竹田高と専大附高の取り組みには敬意を表します。

 ただし、いずれも事故発生時の校長が退任し、後任校長が着任してから
対応が変わったという事実を付記しておきます。

 一方、龍野高は07年5月24日に発生した女子テニス部事故について
調査をしないまま、今日に至っています。
 そして井戸敏三・兵庫県知事と県教委は、部活動の安全指導と事後対応に
ついての要請文を受理しておきながら、
http://shunichimori.blog130.fc2.com/blog-date-201602-1.html
誠意ある回答をしないままです。

 これでは、悲しい事故をなくせません。
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日体大研修会&「指導死」シンポジウム(その3)

[ 2017/10/17 17:35 ]
 日体大研修会では専修大附属高女子バレーボール部、
愛知県立刈谷工高野球部事件の被害者の母親が、それぞれ自らの経験を
語りました。
http://shunichimori.blog130.fc2.com/blog-date-201612-4.html
http://shunichimori.blog130.fc2.com/blog-date-201612-3.html

 いずれも桜宮高バスケ部、そして大分県立竹田高剣道部などと同様に、
顧問教諭が部活動という小さな王国に絶対権力者として君臨し、なんの根拠も
ないにもかかわらず「自分は無謬だ」と信じ、自己陶酔状態に陥っていたことで、
生徒を死に追いやったという点で共通しています。
 学校は副顧問教諭を配置していますが、彼らはまったく機能していない、
という点でも一致しています。
 
 これは「指導死」シンポジウムでも同様です。
 運動部のみならず文化部でも、また生活指導に際しても教諭の暴行や暴言、
そして思慮に欠けた言動によって自死にまで追い込まれた高校生3人。
 彼らのきょうだいが登壇し、語った言葉にも悲しみと悔しさが込められていました。

 そのひとりは
「学校での『所属の欲求』を家庭で満たすことはできない。教師の心ない言動に
よって周囲から孤立させられ、友だちや生きがいを奪われては、生きてはいても
殺されたのと同じことだ。
 想像を絶するような絶望感に苛まれたから自死に至ったのに、なぜ子どもの死が
親の責任にされるのか?わからない。
 親やきょうだいにも命を守れなかったほどのひどいことを学校がしているのに、
自死は本人や家族のせいだとして切り捨てていては、同じことが繰り返される」
と涙ながらに訴えました。

 そして絶対権力者である教諭に異議を申し立てられなかったり、事故の現場に
遭遇した同級生らが
「自分に責任がある」
と思い詰めていることも共通しています。
 これは強調しておきますが、保護者らは未成年だった同級生らが責めを負うべき
などとは、まったく思っていません。
 副顧問教諭にさえ制止できない暴走なのですから、生徒らにブレーキがかけられる
はずもなく、彼ら彼女らもまた被害者なのです。


(この項、つづく)

日体大研修会&「指導死」シンポジウム(その2)

[ 2017/10/17 17:29 ]
 日体大研修会では、約250人の学生と約40人の市民に向かって、
リサさんの父が自身の体験を語りました。

 リサさんが熱中症で倒れた07年5月24日、龍野高女子テニス部顧問(当時)の
三木教郎教諭が詳細な練習メニューを作成して、主将だったリサさんに指示して
いながら、石原元秀校長(同)が保護者に対して「練習内容を作成したのはリサさん」
と虚偽の説明をしていたこと。
 学校管理下で行われていた部活動の練習中に発生した事故であるにもかかわらず、
石原氏が「学校に責任はない」と言い切り、「健康管理は家庭の責任」と切り捨て、
事故発生に至る機序について調査していないのに「学校の対応に瑕疵はない」
と強弁し、挙句の果てには持病説まででっちあげたため、家族が深刻な風評被害を
受けたことを聴衆に伝えました。

 また三木教諭が作成した練習メニューには、休憩や給水に関する指示がなかったとし、
「この点について尋ねたところ 、『校舎建て替え工事のために校内のコートが使えず、
市営コートを借りて練習していた。費用が発生するので、休憩するのはもったいない』
と答えた」
ことや、石原氏の後任である清重安男・元校長が
「スポーツに事故はつきもの」
と、平然と言い切ったことを明らかにしました。

 そのうえで、
「科学的な知見に基づいた合理的な指導法でなくてはいけないのに、経験と勘に
頼り、無知で無理を強いる指導者がいる。
 安全は多くの失敗や犠牲の上に成り立っている。過去の失敗に学ばなければ、
悲しい事故は繰り返される。
 日体生の皆さんは多くが教員志望だと聞いているが、教員も事故を起こそうと
思って起こしているわけではない。
 事故情報を教訓として共有し、スポーツ特有の危険性を理解し、安全に配慮して、
安心して子どもたちを任せられる指導者として携わっていただきたい」
と訴えました。


(この項、つづく)

日体大研修会&「指導死」シンポジウム

[ 2017/10/16 08:31 ]
 2017年10月13日には「学校・部活動における重大事件 ・事故から学ぶ研修会」
が日本体育大学世田谷キャンパスで、
同14日にはシンポジウム「『指導死』とその周辺~きょうだいらが語る『指導死』~」
が東京都港区の人権ライブラリーで開催されました。
 この2日間で、部活動の顧問教諭の不適切な指導によって生徒が熱中症を発症し、
重篤な後遺障害が残ったり死亡したりした事案。
 さらに教諭の暴行や暴言などが生徒の尊厳を傷つけ、ついには自死に追いやられた
事案について、被害者家族ら7人が自らの経験を語りました。

 「指導死」シンポジウムには、大阪市立桜宮高バスケットボール部OBの谷豪紀さんが
登壇し、
「生徒手帳には『生徒間の暴力、生徒の教師に対する暴力があれば退学処分とする』
と明記してあるのに、教師の生徒に対する暴力は野放しだった」
と、自らが経験した桜宮高の実態について述べました。
 11年にはバレーボール部顧問の男性教諭が、生徒たちに暴行を繰り返していた
ことを理由に停職3カ月の懲戒処分を受けたことに言及し、
「被害に遭っていた部員のひとりが公益通報したことから、暴行の事実が発覚した。
 しかし校内には勝利至上主義が蔓延していたため、彼の行動は生徒たちからも
非難され、バスケ部顧問の男性教諭の暴行も隠蔽された」
と当時の事情を明らかにし、
「強くなりたい・勝たせてやりたいという生徒や保護者の思いが、教諭の暴行を
容認する土壌を育む要因となり、校長に権限はなかった。また体育科(当時、
現在は人間スポーツ科学科に再編)の生徒には、部活動が必修科目として
カリキュラムに組み込まれていたため、退部すなわち退学なので逃げ場はない。
 連帯責任と称して全員が頭を丸めさせられるなどの理不尽な仕打ちにも、
耐えるしかなかった」
と、高校時代を振り返りました。

 このことが12年12月23日、バスケ部主将だった2年生男子生徒が自死する
に至るという最悪の結果を招いたのは、はなはだ遺憾です。
 谷さんは自死した生徒について
「彼はわたしが3年生のとき入部してきた。中学時代から評判になるほどの実力が
あり、しかも謙虚な人柄で非常に優れた生徒だった」
と評価し、
「彼の死は悲しかったが、『学校のあり方に疑問を感じていたのは自分だけでは
なかった』と確認できたのも事実だ。
 生徒には逃げ場がないのをいいことに、生徒たちの尊厳を踏みにじる教諭がいる。
 こうした問題はひとりで解決できるものではない。多くの人が集まって発信していく
ことが重要だ」
と強調しました。


(この項、つづく)

竹田高剣道部事件、福岡高裁は大分県の控訴を棄却(その3)

[ 2017/10/04 17:59 ]
 福岡高裁の判決言い渡し公判を傍聴し、報告集会にも参加していた
佐藤晋平・佐賀大学文化教育学部専任講師は、
「教師は、児童・生徒の生命を守ることに極めて重い責任を負っている。
 このことを教員養成学部に在籍する学生に徹底できているだろうか?
 ましてや現職教員の意識に浸透しているだろうか?
と、教育学の研究者は改めて検討することが必要なのだと思う」
とし、
「本件は裁判で『重過失』と認定されたが、では『過失』と『重過失』は、
どこで線引きされるのか?
 『過失』であっても児童・生徒の命が失われることは十分考えられるし、
『重過失』と認定されても、一命をとりとめれば結果責任を免れられるのか?
 こういったことに対して、教育学の研究者がより積極的に議論していく
必要があると痛感している」
との見解を表明しました。

 また教員養成学部の現状について、
「『自分が児童・生徒だった時期に理不尽な扱いを受けた記憶がある、
だから教員になって現場を改革したい』という意欲をもって入学してくる
学生もいる。
 しかし彼ら・彼女らは、あくまで少数派だ。多くは現行の学校教育システムに
全幅の信頼を置いており、少数派の意見に耳を傾けることは難しいのが現状だ。
 こうした状況にあって、国立大学についていえば、昨今進行している
いわゆるゼロ免課程廃止などの学部改変は、さらに学生の多様性を失うものと
ならないか、と危惧している」
と述べました。
プロフィール

heppoko runner

Author:heppoko runner
 子どもは社会の宝です。
 なぜなら20年後、30年後の社会を支えてくれるのは彼ら彼女らであり、彼ら彼女らのいのちや権利を粗雑に扱うということは、すなわち日本の、ひいては人類の未来に対する責任を放棄することです。
 そんな無責任な態度は、断じて許されません。
 子どものいのちと権利を守るために、わたしたちはなにをしなければならないのか?なにをしてはいけないのか?
 いっしょに考えていただきたいと思います。

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